2025年11月24日

忠臣蔵について、

私が学生の頃、大石内蔵助がたぬきなのか、ぼんくらかで、ボンクラで仇打ちをしたくなく時間がかかったなんて説や映画が流れたけど、人気ありませんでした!
無理もない、皆切腹になる、抜け出す人までいるんだから、後継がいないとか、何人か。
そんなわけ無いんです、命をかけてやったし、わかっていてやったんだから。
覚悟の上の年数でしょう。




posted by Liriy at 11:42| Comment(6) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あるとしたら、息子さん、娘さんなど奥さんと生き残った下の子らに後事を託せるように、育ったから、でも、自分は生きられない、だから、そんなはずはない。

Posted by Liriy at 2025年11月24日 11:54
大石として育ったのは長男だけ、次男や女子は奥さんの実家名に。
そんな手もありますが、長男大変だったなと。

Posted by Liriy at 2025年11月24日 12:00
●成功の秘訣ニ、
上杉家の江戸屋敷での協力が、どうしても必要だった、居合わせた俳人の日記さえも必要だった、俳句も。だから根回しに時間がかかった。
●成功の秘訣三、
長年かけ、やめたい人はやめさせ、裏切り者や情報もれを、防いだが、必要な相手には先のように流した、協力ほしい所には。
●成功の秘訣四、
天皇家や公家、徳川家本家の主要人物の協力がいるため、代替わりや協力の取り付けを根回しした。蔵之介自身が動けば話題になるため、指示だけに。
●成功の秘訣五、
抜けた志士の中に実はそうみせずな忠義ものがいて、裏切りに見せ、実は情報を集めていた。また民心が先代の殿様の不評から同情に変わるのに時間をかけた。奥さんとの別れも、次男らを成功させ、話を広め民心を保つため。
●成功の秘訣六
それほどの恨みを家臣の8割が持っていた!!

Posted by Liriy at 2025年11月25日 10:34
以上が私の分析だけど、あの頃はうまく言えなかったし、両親や祖父母の世代がまだまだ、若者や子供は遠慮せねばならなかった。作家になれそう、すぐパクるライターいそう!!
Posted by Liriy at 2025年11月25日 10:37
●成功の秘訣七
ほんまは幕府にこそ、忠義が必要で改めて香らせたかったから!!
時代がすすみ鎖国で、平和な時代だから、緩くなりがちに。
物のやり取りに精を出す吉良は実は、リストラ対象だつた?
とまではいかないまでも?

Posted by Liriy at 2025年11月25日 11:08
✳︎なぜ、上杉家とある程度、協力するまでが映画などは略しすぎ、その日や前の日などになっているが、ずっと前からあった可能性。協力依頼が。なかった作り話説も。しかし武士の時代だから、命を捧げた復興に。赤穂の民の気持ちもあったかと。敵討ちが表向き法度だった!、何故変わらなかったのか?
Posted by Liriy at 2025年11月25日 12:09
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